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「いのちと平和の尊さを~ある作家の体験から~」

 10/9北朝鮮が核実験を強行しました。ますます平和の尊さを感じるとともに、憲法を守る決意を込めて、2006.10/7わかやま市民生協「平和のつどい」で講演された早乙女勝元氏の講演をお聞きしましたのでmemoを掲載します。(個人の聞き取りmemoですのでご容赦を~10/14親愛なる方々のご協力で校正・加筆しました)

早乙女勝元氏講演
「いのちと平和の尊さを~ある作家の体験から~」
             2006.10/7わかやま市民生協「平和のつどい」本部組合員ホール

 中米コスタリカを紹介した映画「軍隊を捨てた国」(ダイジェスト版15分)を紹介上映された後、講演に立たれた早乙女さんは、3つのテーマ
 ①過去から学ぶ-知っているなら伝えよう、知らないなら学べ
 ②憲法9条がなかったあのころ
 ③そして今日から明日へ-子供たちに平和な未来を
と本日話す話の3つのテーマを最初に述べられました。

 ①今年の8月15日は東京にいました。仕事の打ち合わせで喫茶店におり、その前で「今日何の日ですかと」インタビューをしていました。「お盆?」と答える若者がほとんど。 またある記事も読みました。「真珠湾ってどこにありますか?」の質問に「三重県?」と答える有様。私もある国立大学の講演に招かれ、「東京大空襲」と看板に書いてあるのだけれど、どうも感じが違う。  普通「東京大空」、ここまでは誰でも書けますね、しかし「襲」が違うんです。「襲」は「龍」の下に「衣」と書きますよね。みんな「衣」がないんです、「東京大空龍」。これじゃ「とうきょうだいくうりゅう」になっちゃう。戦争を知っている者、「もうこりごりだ」という人は少数派になったと思うんです。
 平和は空気のようなものです。ぼやっとしていると消えてなくなるのもまた早い。後の祭りと言います。平和は平和な時でないと守れない。過去の戦争の民間人犠牲を知ることは、現在を認識することになり、それを学ぶことは未来に向かって平和の力と結びつきます。「過去を学ばないものは、再び同じ過ちを犯すであろう」。私流に言うと「車のバックミラーが、曇っていると安全に運転できないですね」ということを言いたいんです。臨時国会が始まりましたね。後で話します教育の問題、憲法の問題、この秋日本の戦後について大きな転機にあると思うんです。正念場だと思うんです。

 ②番目の話にすすみます。憲法9条がなかったあのころ、社会的弱者はどんなことを強いられたか。62年前の1944年(S19)年11月末、標語が街のあちらこちらに張られていました。  「鬼畜米兵・一億火の玉」。日本は豊臣秀吉の時代から、戦争で攻め込まれてきたんではないのです。すべて出かけていった戦争なのです。「外征」といいます。B29による本土爆撃が開始されました。B29は大変優れた爆撃機で2300kmの航続距離があったのです。北海道まではしんどい、青森もしんどいけれど大半の日本全土は爆撃できるところに入ったんです。南方3島から飛び立ちました。サイパン・テニアン・グアムですね。私は12歳でした(これを言うと歳がばれますが)。9月1日から学徒勤労動員でこれを巻いて( 風○神 と鉢巻をみせながら)鉄工場で働いていました。左から読むんでないんです。右から読みます「かみかぜ」と。「神風になれ」教育勅語ですね。最近教育勅語をある幼稚園で暗唱させているという記事を読みましたが、とんでもないことです。 そして3月10日、いよいよあの東京大空襲です。真夜中300機の編隊で、焼い弾を、超低空1500mで落としたことが特徴です。2時間、ちょうど今日お話するくらいの時間で一気に爆撃しました。家を焼失した者100万人、警察が頭蓋骨を確認した公式な発表は、死者88,793人、未確認含めると約10万人です。東京は、いたるところ焼け野原です。火葬場だけ免れるはずがありません。空き地、公園などに大きな穴を掘り埋めました。仮埋葬です。
 人間の得意とするものは「忘却」であり、不得意とするものは「想像力」だと思うんです。ここに須田卓雄さん人の書いたものがあります。彼は当時19歳の学徒兵で被災処理班として働いていました。<注1970年12月29日付朝日新聞に自らの体験をもとに発表された文。『写真版 東京大空襲の記録』(新潮社)のP113でも紹介されています。>

 花があったら
 昭和二十年三月十日の(東京)大空襲から三日目か、四日目であったか、私の脳裏に鮮明に残っている一つの情景がある。永代橋から深川木場方面の死体取り片付け作業に従事していた私は、無数とも思われる程の遺体に慣れて、一遺体ごとに手を合わせるものの、初めに感じていた異臭にも、焼けただれた皮膚の無惨さにも、さして驚くこともなくなっていた。午後も夕方近く、路地と見られる所で発見した遺体の異様な姿態に不審を覚えた。
 頭髪が焼けこげ、着物が焼けて火傷の皮膚があらわなことはいずれとも変りはなかったが、倒壊物の下敷きになった方の他はうつ伏せか、横かがみ、仰向きがすべてであったのに、その遺体のみは、地面に顔をつけてうずくまっていた。着衣から女性と見分けられたが、なぜこうした形で死んだのか。その人は赤ちゃんを抱えていた。さらに、その下には大きな穴が掘られていた。母と思われる人の十本の指には血と泥がこびりつき、つめは一つもなかった。どこからか来て、もはやと覚悟して、指で固い地面を掘り、赤ちゃんを入れ、その上におおいかぶさって、火を防ぎ、わが子の生命を守ろうとしたのであろう。赤ちゃんの着物はすこしも焼けていなかった。小さなかわいいきれいな両手が母の乳房の一つをつかんでいた。だが、煙のためかその赤ちゃんもすでに息をしていなかった。わたしの周囲には十人余りの友人がいたが、だれも無言であった。どの顔も涙で汚れゆがんでいた。
  一人がそっとその場をはなれ、地面には破裂した水道管からちょろちょろこぼれるような水で手ぬぐいをぬらしてきて、母親の黒ずんだ顔を丁寧にふいた。若い顔がそこに現れた。ひどい火傷を負いながらも、息の出来ない煙に巻かれながらも、苦痛の表情は見られなかった。これは、いったいなぜだろう。美しい顔であった。人間の愛を表現する顔であったのか。だれかがいった。「花があったらなあ――」あたりは、はるか彼方まで、焼野原が続いていた。私たちは、数え十九才の学徒兵であった。

 3月10日当日正午の大本営発表は「本 3月10日零時過より 2時40分の間B29約130機主力を以て帝都に来襲市街地を盲爆せり。右盲爆により都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬寮は2時35分其の他は8時頃迄に鎮火せり。現在迄に判明せる戦果次の如し。撃墜15機。損害を与えたるもの約50機」。というものです。主馬とは天皇の馬、主馬寮とは天皇の馬小屋のこと、そこは2時35分に鎮火し、100万人の人が家を失っているのにその他とは凄い。庶民が、皇国民・赤子・民草といわれた時代です。
 戦争に特別席はないんです。それから横浜、名古屋、京都、大阪、神戸の5大都市への爆撃が5月末まで続きます。それから地方の中核都市にも広がります。ここ和歌山市は、7月9日100機編隊の爆撃、死者1625人、負傷者4560人、家を焼失したもの114,000人でしょ。
 憲法9条がなかったらこういう時代なんです。ぜひ今も発掘できる事実を記録し伝えていただきたい。
 8月15日敗戦を迎えました。公式な死者は310万人、アジア諸国を含めると2000万人強。 当時昭和20年の平均寿命・平均余命とも言いますが、ご存知ですか。男23.9歳、女37.5歳。翌年の昭和21年は、男42.6歳、女51.5歳です。そして昨年平成17年は、男78.5歳、女85.5歳です。世界一長寿国です。平和の大切さがわかりますね。
 しかし本当に幸せですか。今日のニュースに生活保護世帯が104万人。私の住んでる足立区では就学援助を受けている家庭が43%。70%以上の地区もあります。高齢者の医療費負担どうですか。わたくしも1割負担だったものが8月から2割負担、そして10月から3割負担です。住民税も大変でしょ。人間的に生きる権利が今ガラガラと音を立てて崩れていく、構造改革じゃなくて構造改悪の世の中です。

 ③番目のお話に移ります。そして今日から明日へ-というお話です。8月15日敗戦を迎え、私自身平和の実感はありませんでした。平和というものを知らないわけですから。昭和6年9月18日満州事変が起こりそれからずっと戦時体制ですから。
 しかしその後平和を感じることが2つありました。ひとつは8月20日発せられた灯火管制解除です。家族が灯火管制の下で暮らすことから急に明るくなったことを覚えています。もうひとつは、翌々年11月3日に公布された新憲法です。私は当時14歳になっていましたが、9つ違いの兄がおりました。彼は教師で教え子を戦場に送り、学徒動員で戦場に行き、帰ってからは生徒の消息を尋ねるという日々でした。 彼から憲法を教わり、何度も何度も読み返しました。
 私はそういう時代でしたから高校にも大学にもいっていませんが、少なからず劣等感を読むことで拭いました。尾崎紅葉の「金色夜叉」徳富蘆花の「不如帰」よく読みました。
 いい文章を書くことは、いい文章を読むことです。そして感じたことをノートに①②と整理する。そして考える。そうすると同じ感情になっていい文章がかけます。戦後5年たって私もはじめて300枚の文章が書けるようになりました。
 憲法9条第1項「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」そして第2項、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」第3項にもあたるような最後に、国の交戦権を認めないがついています。
 その憲法が出来て明るい気持ちになったものの、朝鮮戦争勃発の1950年警察予備隊75000人が出来て、その2年後には保安隊、そしてまたその2年後に自衛隊となりました。日本は東西冷戦下の基地化となりました。航空機のことを支援機、戦車のことを特車、駆逐艦のことを護衛艦、護衛艦はいまでもそう言っていますが、そういうごまかしをしてイラク派遣でしょ。重装備ですよ。しかし後方支援としかいえなかった。もし9条2項の最後がなかったらどうでしょうか、初めはオランダ軍が護衛していました、しかし早くに撤退。イギリス軍も撤退。サマワの陸上自衛隊は何をしていたんでしょうか。それこそじっと自営隊してたんです。憲法9条に守られていたんじゃないでしょうか。航空自衛隊は、バグダッドまで行きましたが。 
 いまや世界の軍事費の40%がアメリカ、それにつぎ日本が10%。この2国で半分以上です。 この国が戦争する、戦争に巻き込まれないブレーキになっているのは①憲法9条、②国民世論、③平和運動・労働組合運動、④アジア諸国の警戒感があると思うのです。
 最近首相になった安倍政権の政権公約は、①憲法改正、②教育改革を最重点に、③集団的自衛権の研究という交戦権への挑戦です。もっというと①憲法9条2項を変える、②それにともなう軍備増強、③それにともなう法整備、④それにともなう人づくりというものです。この秋の臨時国会の最重点は、教育基本法の改正です。教育は14歳までに決まります。愛国心を植え付ける最大のねらいがここにあります。今、目をそらせては行けない。
 観ていただきましたコスタリカ、「軍隊を捨てた国」は私の思いを継ぐ娘の作品です。 一人踊っている日本人が登場しますが、ご存知でしょうか。10年前、沖縄で悲惨な事件が起こりました。アメリカ兵による女子暴行事件。そのとき沖縄県民が立ち上がり集会が開かれその壇上で「平和な沖縄を返してください」と訴えた仲村清子(すが子)さんです。東京であの場面を見ていていつかはと想いこの映画に登場願いました。
 コスタリカはパラダイスでないと思うけれど、①中米和平のまとめ役であるということ。1983年アリアス大統領は、限界はあるけれど積極的中立・非武装宣言を行いました。後にノーベル平和賞を受賞します。②なぜまとめ役になれたのか。非武装、丸腰だからです。武器を片手に人道支援はできません。軍事費の予算を使わずに教育や医療にかけられた。平和だから軍隊がないのでなく、軍隊がないから平和なのです。
 しかし、どこからか攻めてきたらどうするという質問が必ず出るでしょう。北の無法者が攻めてきたらどうする、北朝鮮報道を見ても日本でもよく起こる議論です。
 よく考えましょう。ほどほどの武力というものはないのです。武力は必ず相手より強くなければなりません。刀より銃を、銃より機関銃を、機関銃よりバズーカ砲を、バズーカ砲よりミサイルを、ミサイルより核爆弾をと。攻め込んでくる攻め込んでくるという議論の前に、日本は攻め込まれているんじゃありませんか。大事なお方に奥の間に居座られているんじゃないですか。それをアジア諸国から見ればどうでしょうか。恐怖と感じて当然でしょう。また一緒になって攻めてくるんじゃないかと。その大事なお方の編成を変えるだけに3兆円もお支払いするんでしょ。3兆円3兆円と騒いだもんだから2兆円とかごまかし始めていますけれど、先ほどお話しました医療費負担の10年分ですよ。人間的想像力を働かせさえすれば、安保条約解体こそ平和への道ではないでしょうか。
 軍隊は国民を守りません。昭和19年の国家予算の85%735億円が軍事費でした。790万人の軍隊でした。沖縄で満州で国民を守らなかったのは数々の事実が示しています。終戦となり大陸から民を捨て真っ先に帰った将校の話や、沖縄ではアメリカ兵より日本兵が怖かったことは今でも語り継がれています。
 核が27000発、軍事費130兆円、世界の人口の半分の年間所得です。軍隊は、何も生産せず富を生み出しません。21世紀未来をつくるのは日本国憲法の立場ではないでしょうか。
 私は、外から攻めてくる攻めてくるという論理より、横須賀に寄港するジョージワシントンの方がずっと問題だと思うんです。核を積んでるかどうかわかりません。いざというとき本国から取り寄せる時間などないでしょう。ということは、核を積んでいると当然考えられることです。。巡航ミサイルトマホークを何発も積んでいます。コバルト58とか60とかいった放射能も心配です。もしもの時は、半径50kmが汚染されます。昨年ベトナム戦争31年後のベトナムに行きました。ベトちゃんドクちゃんは、ここにもお招きして頂いたと思いますが、顔に斑点のある13歳の少女に出会いました。父母も何もなく今になってダイオキシン、枯れ葉剤の被害が出てきているんです。
 最後に私が言いたいのは、武力に代わるものは言葉の力だということです。「すべて物事は一から始まる。振り出しはみな一。その一は私。一は微力だが、無力ではない。可能性の原点は私、個。主体的力量を持った個なる一が基本です。平和の象徴の鳩ですが、鳩は鳩でもメッセージを口にくわえた伝書鳩でありますように」

 最後に個なる一の話として、早乙女先生がすすめられている東京大空襲・戦災資料センターについてご案内があり、現在修学旅行生が毎年100校も訪れ集会室を増築しているお話と募金への訴えをなさり、平和への熱い想いを訴えられ講演が終了しました。
by tk-waseikyo | 2006-10-10 11:53 | 学習会

憲法改正国民投票法案を考える学習会          金原徹雄弁護士

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4月20日(木) 17:30~18:30 憲法九条に反対する和歌山弁護士の会の事務局長・金原徹雄弁護士を講師に和歌山中央医療生協の医師を中心にした学習会が和歌山生協病院で行われました。


 ①憲法改正国民投票の意義
 ②国民投票法に関する動き
 ③法案制定をねらう与党の思惑
 ④議連案、与党実務者法案骨子の危険性
 ⑤この国民投票法案を通させないために!のレジュメに基づき、
 特に
 1.自民・公明・民主3党での憲法改正案の1本化作業のための地ならし作業として、国民投 票法を先行して3党でまとめたい。
 2.国民に対し、「もう憲法改正のための法律ができた。流れは決まった!」というあきらめの気持ちにさせ、改憲反対気運に水をさす。
 3.今の国民の世論の状況では、9条改憲はきびしい。国民投票での「承認」のためのハード ルを低くして突破しやすくしておく必要がある。
 4.国会の発議後、憲法改正の真のねらいと国民の利益との矛盾が暴露されない間に投票させてしまう。そのための投票システムと投票運動の規制を作っておく必要がある。
という思惑や法案骨子の危険性について細かく説明され、憲法改悪反対のたたかいと一体となって、法案の危険性を広く知らせることやマスコミや政党への働きかけをお話しされました。
 
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by tk-waseikyo | 2006-04-21 17:21 | 学習会